カムイ伝 The Legend of Kamui
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このマンガのレビュー
穢多(えた)・非人(ひにん)。江戸幕府が百姓たちの不満のはけ口として、士農工商の身分制度でさらに下位に設けた存在ーーと学校の授業でざっくり習ったことはあったが、ゆとり世代の私がその凄惨さを真に知る機会は『カムイ伝』に出合うまでなかった。
米一合をつくるにもとんでもない重労働を必要とした時代、非人はその農作業にすら就くことが許されない。与えられる仕事は、家畜や人間の死体処理。さらには一揆を企てた百姓の死刑執行人など、とにかく百姓たちから敵意や嫌悪感を向けられるような役目に絞られている。その非人道的行為のすべては、下々の者たちが結託して力を持たないよう分断し、米と金が幕府へと流れ続けるための支配構造につながっている。
格差は賤民との間だけでない。農民、武士、そして忍者の世界にもヒエラルキーが存在し、下層の者に対しあらゆる理不尽が横行する。
えぐい。人はこんなにほかの人間の尊厳を奪えるのか。これが日本で起きていたのか。写実的な線でありありと描かれる、支配者が平然と差別統治を行う姿、虐げられる民の無念さに、ついこちらも歯を食いしばってしまう。
同時に、それぞれの階級から己の夢を叶えるために反骨し続ける主人公たちの姿に大きく勇気をもらう。特に百姓である正助と非人のナナが、裸のまま身体を寄せ合いながら村人たちの前で愛を宣言するシーンは美しくて涙せずにいられなかった。
本作は要所要所で作者の解説文が差し込まれるが、百姓と非人が関係を持つことはご法度だった時代に、例外中の例外としてこの時代に百姓と非人が婚姻した史実がきちんと残っていることも白土は読者に説明する。膨大な資料研究に基づく徹底したリアリズムがあるからこそ、平等の精神、愛と自由を貫こうとする主人公たちの姿がよりいっそう美しく輝くのだろう。
米国で第二次トランプ政権がはじまり、他国の人や障害者への敵意を煽る発言が連日ニュースで流れてくる。カムイ伝で描かれている、支配のために分断をもたらす為政は決して遠い過去の出来事ではない。今の時代だからこそ読みつがれたい作品だ。
作品の最序盤で村の小頭を襲った弟カムイが仲間である非人たちに捕えられあっけなく殺されたあと、唐突に出現して出現し、何事もなかったように主人公として取って代わる双子の兄・カムイは、それまでどこにいたのだろうか。これは決して、強引な展開への単なるツッコミではない。
中世まで双子(およびそれ以上の多産)は「畜生腹」と言って忌むべきものとされ、選ばれなかった子は間引かれたり捨てられたり、よそにやられるなどした。多子を養う余裕のなかった村落共同体社会の貧しさゆえとも言える。江戸時代中期以降は多産を祝う地域も出てきたが、従来通り忌み嫌われる地域の方が多かった。兄カムイもまた一度どこかに捨てられたのか、それとも弟のほうが最初から「忌み子」の表象として存在していたのか。
江戸時代の身分制度を下敷きにしつつ、武士、百姓、非人という各階層においてその集団の論理から外れたアウトサイダーにならざるを得なかった龍之進、正助、カムイという、いわば「忌み子」たちの物語と言える本作は、イエの存続を至上目的とする家父長制、その先の富国強兵と高度成長の陰で生まれた近現代の「忌み子」たちを見つめながら描かれた。そして、彼らを忘れ果ててきた私たちの歴史を、今なお照射している。
本作は、忍者マンガという枠を超え、江戸時代の社会構造を鋭く描いた作品として名高い。
厳しい身分制度の下で生きる人びと、とりわけ被差別民であるカムイの視点を通して、当時の社会の矛盾や権力構造を浮き彫りにする様は、すでに多数のレビューの指摘のとおり、執筆当時の学生運動という時代情況を反映し、階級闘争のあり方の一つとして読まれてきた、
また本作は、文化人類学的に読んでもいまなお意義深い。たとえば中沢新一は、1988年のエッセイで、『カムイ伝』には3つのタイプの自然、すなわち、動物たちの生をとおして描かれる自然、カムイや夙谷に生きる人びとの自然、そして農民たちが管理しようとする自然…があると指摘し、それらの「自然」がせめぎあって生まれる近世的世界を描こうとしているのだと解釈する。そして中沢は、この3つのせめぎあいは、「いまもぼくたちの身体のなかでかたちをかえてつづけられている」とも語っている。作品からおよそ半世紀、中沢が読んだ時代から三十余年がすぎて、3つのタイプの「自然」は今もわたしたちの中でせめぎあえているだろうか。ぼくにはその自信がない。
未完のこの物語は、カムイを含む主人公たち3人が故郷を追われた後に蝦夷へ渡ってアイヌ民族と共に松前藩の侵略に立ち向かう構想だったという。海の向こうの大国では「きれいごとなんかうんざりだ」と言って憚らない人物が国のリーダーの座を奪い返した。ぼくたちの中にある「自然」に目を向けることは、こんな時代だからこそ重要なのかもしれない。
「忍者×劇画」のマンガ家と言えば、『忍者武芸帳 影丸伝』や『サスケ』で知られる白土三平の名前が真っ先に挙がるであろう。『カムイ伝』は、その白土三平による日本の長編劇画である。この作品を連載するために、白土三平は「赤目プロダクション」を設立し、『月刊漫画ガロ』を創刊したと言われている。また、彼のマンガ家生活の大半がこの作品に費やされたことから、『カムイ伝』は白土三平のライフワークとも言われている。当時のキャッチコピーは「ヴィジュアルは映画を凌ぎ、ストーリーは小説を越えた」であったが、まさに画のタッチも物語も非常に「濃い」作品であり、読む人を色々な意味で圧倒する。
『カムイ伝』は、江戸時代初頭の架空の藩を舞台にしており、階級闘争や差別、個人の自由を追い求める人間の葛藤などが描かれている。主人公のカムイだけでなく、様々な身分の登場人物が出てきて、時代や制度の理不尽に翻弄されながら苦悩や葛藤を経験する中で成長していく物語である。ここからは少しネタバレも含んでしまうが、主人公が「非人」と呼ばれる部落出身で差別されていたり、いきなり殺されてしまったり、生き返ったり、最初から目が話せないストーリー展開である。一方で扱っているテーマは割と重たいもので、読み終わっては考え、考えてはまた読み直す、といった「何度も味わうことができる」作品である。劇画特有のハードボイルドな絵柄と社会的・思想的なメッセージ性を持つ内容から女性や若者に敬遠されているように思うが非常にもったいないことだと思うので、是非とも一度手にとって読んでみてほしい。