欧文作品名読み者原作備考年掲載誌:

Phoenix

Phoenix
ひのとり
手塚 治虫
TEZUKA Osamu
漫画少年(黎明編)/少女クラブ(エジプト編・ギリシャ編・ローマ編)/COM(黎明編、他複数)/マンガ少年(望郷編・乱世編・生命編・異形編)/野性時代(太陽編)
時代や出版元を変え描き続けた「生命とは何か」手塚哲学の集大成
A compilation of Tezuka's philosophy on ‘What is life?’, which has continued to be drawn in different times and by different publishers.
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このマンガのレビュー

漫画業界に身を置いていると、「現代の漫画のあらゆる技法が手塚治虫がつくりだしたものの延長線上にある」という話を聞くことがある。なんとなく言いたいことはわかるがいまいちピンとこない。そんな方は、迷わず『火の鳥』を読むといい。『火の鳥』は、「人間が何のために生きるのか」という問いを、黎明編・エジプト編・ギリシャ編・生命編・太陽編・ヤマト編・宇宙編などあらゆる切り口から描くことで我々読み手に突きつける。1950年代は漫画のまさに黎明期で、作品数も少なければジャンルも限られていたし、いまのように表現の幅も広くなかった。そのなかで、『火の鳥』はコマ割りの美しさや柔軟性、オノマトペの多様さ、シリアスな場面に突如読者視点や作者視点を入れ込むユーモアなど、表現手法はかなり挑戦的で多岐にわたる。もちろん物語の普遍性や各編の人間ドラマは言うまでもないが、この手数の多さは、今読み返しても驚きと発見がある。その意味で、手塚自身が文字通り人生をかけて描き続けたこの漫画は、漫画に無限の可能性を見出し、自身の持てる技術のすべてをぶつけることで未来の漫画家たちに託したバトンだったのではないかとすら思えてくる。漫画がMANGAとして世界中で愛される文化になり得たのは、手塚治虫がいたからであり、『火の鳥』が「生命とは」と同じくらい「漫画とは」を問いかけ、そのバトンを受け取り、応え続けてきた数多の漫画家たちのおかげなのではないだろうか。

KOROKU Takuya

漫画・アニメーションの世界には名だたる巨匠がいますが、手塚治虫作品、ディズニー作品のなかには「この人は世界の全てを知っているんじゃないだろうか?」と思えるほどに驚きを覚える作品があります。

この「火の鳥」もそんな作品のひとつです。 私の好きな都市伝説の界隈では「人類の文明は幾度も崩壊と再生を繰り返している」という説があります。
もしかすると「火の鳥」の円環の物語が噂話の元になっている。ないしは、そんな都市伝説が生まれる以前から手塚先生はその説を”事実”として知っていたんじゃないかとも思ってしまいます。

さて、「火の鳥」は「黎明編」に始まり10いくつのエピソードで、1話完結型で構成されています。全てに目を通したわけではありませんが、いずれの物語にも火の鳥が現れては人々の営みを俯瞰し、絶望の淵に立たされた人物に光の方向性を諭して最適解に導こうとします。

昨今「いまを戦前にさせない」という言葉をよく聴きます。ロシア・ウクライナ、パレスチナ問題、北朝鮮の核保有などとても不安定で明日を楽観視できない世界情勢を、今まさに火の鳥はどこかの上空から傍観しているんじゃないでしょうか?
そしていつか誰かの元に現れる時を窺ってるんじゃないでしょうか?

ただ、火の鳥が我々の前に現れるタイミングが作中と同じだとすれば、ある程度の崩壊や争い、哀しみや苦しみを人類が味わった後なのかもしれません。 そんな日が来ないことを願うばかりです。

HAYASHIYA Keiki

「なぜ私達は生まれ死にゆくのか」「命とは何か」。人類にとって普遍的な問いを、手塚治虫というマンガ界の巨匠が、歴史、地理、生物学、医学、宇宙科学、その幅広い知識を総動員させながら、卓越した画力とストーリーテリング、ユーモアをもって娯楽作品に昇華させた名作。

ゆとり世代の私が本作を初めて読んだのは二十歳の頃だった。邪馬台国の時代を扱った「黎明編」に、奈良飛鳥時代の「鳳凰編」、源平合戦期の「乱世編」など、本シリーズには日本史を下敷きにした編がいくつもあるが、その中で描かれる権力者たちは学校の授業で習った”偉人”とはちょっと違う。老いを恐れるあまり乱心する卑弥呼、大仏の建造で下層にさらなる飢えと苦しみを与える朝廷、武勲に執着して百姓の命を踏みにじる源義経ーー。武勇伝が語られがちな人物たちが、地位や名声、欲にまみれて民の暮らしを蹂躙する姿が描かれる。そして事実として、統治や戦というものは多くの犠牲の上で成り立つ現実を突きつけてくるのだ。常識、価値観の反転の連続。戦争の記憶が薄れつつある世代の自分に冷水を浴びせる、ロックで、パンクで、オルタナティブな存在が『火の鳥』だった。

「復活篇」でもロボットと人間の恋が、「太陽編」では平安と21世紀を往来しながら人と産土神の魂の交歓が……性別、国、人種、あらゆる境を飛び越え惹かれ合う生命同士の愛が描かれる。憲法14条が掲げている真の平等性、その尊さを、LGBTQの言葉が社会に認知されるずっとずっと前から手塚はペンに込めていたのだ。
幼少期に戦争を体験したがゆえの反戦の意志を明確にもちながら、大衆に時代を超えて受け入れられるエンターテイメント性、多分野にまたがる知識、さらにはマンガ家としてのあくなき向上心を兼ね揃えた人物はそう簡単には現れないだろう。ライフワークとしてこの作品を私たちに遺してくれた手塚治虫に感謝しかない。

KUROKI Takahiro

火の鳥はシンプルに「人の命とは?生きる意味とは?」という問いを読者に問う作品である。1巻から複数巻で1シリーズとなり、オムニバス的に話が進んでいくのだが、共通して出てくるのが、正にタイトルとなる「火の鳥」である。この火の鳥が、人が生きる意味を考える上で重要な”やくわり”がある。火の鳥の血を飲むと永遠の命を得るということである。永遠の命。これは甘美な響きであり、死なないことで無制限に欲望に忠実に行動できるようになる。ただ、この死なないことを獲たキャラクターたちは、多くのシリーズで「生きる意味」をなくす。つまり、人は「死ぬこと」言い換えると「寿命があり、制限がある」からこそ、生きることに一生懸命になれるのではないかと読者に問いかけるのである。人は争い、欲望にまみれ、自分のことを優先する。しかし、協力し、人を助け、他人のために行動することもできる。我々は永遠の命などいらない。本当に得るべきは「人を思いやる心」なのであるということを、様々な角度で問いかけてくれるのが火の鳥である。ちなみに私は歴史が好きなこともあり、「太陽編」がとても好きだ。ときは6-7世紀。日本と朝鮮の戦争(白村江の戦い)があり、日本は大敗を喫する。百済の王族も日本に逃げてくる中で、土着信仰の神と、中国から来た仏教の戦いもあり、日本古来の動物を元とした(蝦夷のような)民族と大和朝廷の争いもある。多くの勢力がそれぞれの欲望に忠実に絡み合いながら進んでいく物語は、歴史を知った後に見るとまた見え方が変わる。何度読んでも面白い味が出るのが「太陽編」なので、まずは歴史を詳しくないときにこそ、初めて見てもらいたい。きっとあなたの人生を何度も彩ってくれるだろう。

Mangatari Maeda

「マンガの神様」と言われた手塚治虫による一連のシリーズ作品であり、代表作のひとつ。手塚治虫公式サイトによれば、「手塚治虫がもっとも情熱を傾け、最晩年まで描き続けた文字どおりのライフワーク」とのこと。手塚治虫がトキワ荘に入居していた時期(1954年)に最初の連載が始まった作品であるという意味において、まさに「トキワ荘で生まれた手塚治虫マンガ」と言えよう。様々なメディアミックス作品(映画、アニメ、ラジオドラマ、ビデオゲーム)、スピンオフ作品(アニメーション映画、演劇)が製作されているが、それらの原作となるマンガであり、必読である。
様々な「○○編」があり、物語の舞台となる時代や場所も様々である。多様な時間軸(古代から未来まで)と空間軸(日本、ギリシャ、ローマ、エジプトなど世界各地から宇宙や地球外惑星に至るまで)で描かれているが、普遍的で不変的なテーマ「生と死」を扱っており、時空を超えて多くの人に「生命」「倫理」「人間の欲望」など様々な哲学的な問いを投げかけてくる作品である。外国人や若者にも、いや、外国人や若者にこそ、読んでいただきたい。
本作品と私の個人的な関係を少しだけ述べると、『火の鳥』は実家にハードカバー版があったので、初めて読んだのは小学生の頃である。子どもながらに壮大なテーマと哲学的な問いに圧倒されたことを覚えている。また、私の勤務先である大阪大学では「大阪大学の卒業生で最も有名な人物=手塚治虫」と言われており、私自身も大阪大学の卒業生であるため、「手塚治虫先生は大阪大学の大先輩」と勝手に後輩の気分でいるのだが、阪大関係者で同じように思っている人が少なからぬ人数いるはずである。

IESHIMA Akihiko

著者の手塚治虫先生は、青年期に戦争を経験し、その後医学を勉強してから漫画家に転身しました。そのような背景もあって、人間の命に対する執着をより詳らかに描くことができるのでしょうか。この作品には、命への執着と欲望に振り回されながら儚い一生を終えていく人間が多く登場します。
その中で強く印象に残ったのは、火の鳥から永遠の命を与えられた山之辺マサトです。『火の鳥』の中では、多くの者が火の鳥の血を得ようと試みて失敗しますが、山之辺は実際にそれを得ることができました。しかし、何十億年にわたって人類が再生するのを見守る中で彼自身の肉体はなくなり神のような精神体となります。結局人のままで永遠の命を謳歌することは叶わないのだな、と教えられました。
どの編も文学的かつ哲学的であり、小学校の図書館で読んだ頃には多少難しすぎたきらいもあります。大人になってから読み直すとまた違う感銘を受けることができるので、再び手に取ってみることをオススメします。

YAMABE Satoshi

大きくて、深くて、面白い。『火の鳥』はそんな作品だ。
過去の編と未来の編を交互に描きながら現在へ向かい、そうやって複数の編を描き継ぐことで全体を完結させようという壮大な構想だったが、手塚治虫の他界によってその全体像を見ることはかなわなくなった。だがそうであっても、各編を読み通していけば手塚が思い抱いていた構想の大きさ、テーマの深遠さに心を震わされ、未完なのに、いや未完であるがゆえの無辺の達成に圧倒される。
マクロとミクロ、永遠と有限、全体と部分、精神と肉体、生命と機械、権力と被支配、聖と俗……。そうしたさまざまな事象に縦横に踏み込みつつ、おのおのの時代に生きる登場人物たちの業や欲や愛や葛藤や運命や闘争の物語を濃密に描き出す。そうすることで「生命とは何か」「生と死とは何か」を恒久的に問いかけ続ける。
そんな深遠な作品性やテーマ性の話を抜きにしても、各編がどれも物語マンガとしての面白さに満ちていて、マンガを読むこと・物語に耽溺することの愉悦をたっぷりと授けてくれる。各編はそれぞれ独立した内容をもちながらも、狂言回しである火の鳥を媒介につながり合っている。一つ一つの編の独立性と連関性が交錯する綾を楽しめるのも本作の醍醐味である。
個人的な嗜好をいえば、「未来編」から感じる気の遠くなる超大な時間の流れ、「鳳凰編」に見られる輪廻転生的な世界観と宗教・政治・芸術のありよう、「復活編」が描く人間とロボット間の異類恋愛の顛末などに格別の衝撃と愛着を感じる。「太陽編」の「一つのよからぬ権力が倒れても、次に誕生する権力もまたよからぬものになる。ただ権力者の顔が入れ替わるだけ」という、他のいくつかの手塚作品にも通じる歴史観も心に刻まれる。

INAGAKI Takahiro

私にとっては人生の中で最も好きな作品で、幼い頃に父の蔵書から見つけて以来、毎年ことあるごとに読み返している。
厳密には、1954年に「学童社」が出版した雑誌 『漫画少年』の掲載が初出だ。主要な物語はその後連載された『COM』『マンガ少年』『野生時代』で掲載された12編で、編ごとに時代が異なったり宇宙に飛び出したりするものの、ほぼ日本を舞台としている。日本の神話に出てくるイザナギ、イザナミや、卑弥呼、義経、平清盛、天智天皇、大海人皇子、果ては人工知能、頭脳が発達したナメクジに至るまでが権力闘争を繰り広げ、火の鳥を狂言回しにして永遠の命をめぐる争いが描かれる。
作中には猿田彦という鼻の大きなキャラクターがいて、猿田彦を除いてこの作品は成立しない。彼は未来永劫この世を彷徨うことを運命付けられてしまう。悲劇的主人公のような感じもする。2025年現在、猿田彦といったら猿田彦珈琲と答える人もいそうだが、古事記、日本書紀に登場し、「天孫降臨」で道案内をしたとされる、日本神話の重要な存在なのだ。

今回文章を書くにあたりいろいろ調べていたところ、戦後間もない1950年ごろに、手塚治虫が天照大神を主人公にした「天岩戸」という漫画を光文社に提案したと、手塚治虫のエッセイに記載があった。その時は神話を漫画にするなんて、とボツになったそうだ。虫好きで知られる手塚治虫だが、中学時代には地歴部に入っていた。古代への思い入れは大きく、それが火の鳥に結びついているのかもしれない。

とにかくこの作品ではたくさん人が死ぬ。権力闘争、嫉妬や虚栄心、承認欲求による人間同士の争いはいつの時代も変わらずに存在することを思い知らされる。歴史の大きなうねりを描きつつ、ミクロな人間の生き様にも焦点が当てられたこの作品を、今読み返す意義は大きい。

KAZAMA Miki

手塚治虫作品でも最も有名かつ評価も高い作品の一つで、個人的にも思い出深い。
自分自身は本作は小学生の頃、学校のそばにある公立図書館で熱読。「黎明編」、「未来編」から入り、古代史から未来、人類の終焉と再生に至る壮大なスケールが、わずか一冊の本の中に詰められていたことに深い感銘を受けた。火の鳥は多くの短編から成り、それぞれの短編が過去から未来の様々な人間模様を描いており、各短編が微妙に他の編のストーリーとも関連していることも本当に味わい深い。
自分が特に好きなのは「未来編」、ついで「復活編」だろうか。もちろん他のどの編も魅力的なストーリー。
過去と未来を行き来した最終章としての「大地編」が構想途中で絶筆となったことは本当に残念だが、数多くの漫画作品の中でも自分の中では間違いなく最高傑作のひとつ。絵が古臭いと最初敬遠していたうちの息子や娘も、置いておいたらいつの間にか全編愛読してくれていたのも懐かしい思い出。

FUDETANI Nobuaki

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