ベルサイユのばら The Rose of Versailles
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このマンガのレビュー
普段、少女マンガはあまり読まないが、『ベルサイユのばら』だけは別でした。このマンガは少女マンガの枠を超えた傑作で、少女マンガをあまり読まない私にも強く訴えかける力を持つ作品なのです。豪華絢爛な宮廷を舞台にしたドラマチックな人間関係、オスカルとアンドレを中心とした複雑な恋愛模様、そして時代を象徴するフランス革命という歴史の大波が絡み合い、圧倒的なスケールで物語が展開されます。
特に注目したいのは、むしろ主人公のオスカルとアンドレが物語から退場した後の展開です。オスカルの死は物語のクライマックスとして感動を与えますが、その後のフランス革命を描く部分が大変興味深い。ここからは個々のキャラクターのドラマ以上に、歴史そのものが主役となります。また、今日再評価されているマリー・アントワネットついて、池田理代子は、彼女を当時から無垢な悲劇の女性として扱っていたこともこのマンガの特筆すべき点でしょう。
『ベルサイユのばら』は、華やかな少女マンガの側面と硬派な歴史ドラマを併せ持つ稀有な作品です。オスカルやアンドレに心を奪われつつも、その後のフランス革命の波乱に魅了されるという感覚を味わえる点で、多くの読者にとって特別な体験を提供していると言えます。
「オスカル!」「アンドレ〜!」の台詞くらいは何処かで聞いたことがありましたが、実は不朽の名作「ベルサイユのばら」は今回のお仕事をお受けするまでは触れることなく生きてきました。
読んでみるとコレが面白い!なぜ今まで通らずにきてしまったのか!逆に今のタイミングで出会えたからこそ面白いのかもしれない!
こんなにもそれぞれのキャラクターの立場、思惑、矜持、欲望、プライドというありとあらゆる感情が渦巻いて、時に上手くハマり、時に虚しくもすれ違ってしまう。この歯痒さ、もどかしさこそが「ベルばら」の魅力なのかもしれない。
史実を題材にしたフィクションということもあって「ベルばら」を読んでフランス革命に詳しくなった人がいるのはもちろんのこと、本国フランスでは「歴史の授業以上だ!」との評価も受けているとか。
また昨今のマンガと違って、最低限の線でシンプルに作画がされてる70年代の画風。
特に「ベルばら」の特徴は目の中の星が輝き、顔の半分ほどの大きさの眼球、ショックを受けた際の白目などのマンガ表現も当日としては革命的な方法だったのかもしれない。
時代の潮流に巻き込まれて太く短い生涯を駆けたアントワネット、オスカル、アンドレ、フェルゼン。
それぞれの華麗でありつつも理不尽な人生は美しくものが儚く散ってしまうからこそ、発売から50年以上経った今でもたくさんの読者が心酔してしまうのかもしれない。
それが証拠に僕もそのひとりです。
フランス・ブルボン朝後期、フランス革命前夜とその嵐吹き荒れる時代に生きたマリー・アントワネット、オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ、ハンス・アクセル・フォン・フェルゼンを主軸とした恋人達の物語である。
歴史上の人物と架空の人物が織りなす、少女漫画の金字塔。
煌びやかなドレス、豪奢な装飾品、壮麗な宮廷や屋敷、華やかに繰り広げられるパーティーに少女達は魅了され憧れを持って読んだ。
お洒落が大好きなマリー・アントワネットは可愛らしく、退屈と感じる毎日を着飾る事や遊びまわる事、果てには禁じられている賭け事にまで手を出し日々を過ごす。それが国の財政をひっ迫させている等と考えもせずに。宮廷での貴族の権力争い、アントワネットとフェルゼンの苦悩に満ちた恋や、男装の麗人オスカルの叶わぬ恋と本当の愛を知る場面など夢中になるエピソードがテンポ良く展開して行き、そこに実際に合った事件や世相が加味され何と深き物語であろうかと夢中になる。
さて、大人になって納税をする立場になってから読み返すと、国のトップが贅沢三昧で貧しい庶民の事をかえりみず(知らず)、重税を課して無駄遣いをしていると考えると、革命のうねりの大きさと国民の怒りが実感として身体を突き抜けた。
純粋無垢であったアントワネットや、聡明なオスカル、心を閉ざしてしまったフェルゼンのラストシーンで泣いていた少女の頃も、大人になってからも感じ方は違えど、何度も何度も読みたくなる漫画の一つである事は間違いがない。
大学時代、サークルの文学部の友人が「ベルばら」が大好きだと公言していて、全人類必読と言われて初めて読んだのがぼくにとっての「ベルばら」との出逢いだった。そして当時、モテないことをこじらせながら、レヴィ=ストロースに惹かれて構造主義に傾倒したぼくが「恋愛の構造分析」の題材として選んだのも「ベルばら」である。
「ベルばら」は、基本的には悲恋の物語である。自他を焦がす情熱の描写は、社会的文脈のうえで常識と認められない(ゆえに成就しない)二項対立の関係のなかで展開する。物語の軸となる男装の麗人オスカルと従卒アンドレは「貴族/平民」、王妃マリー・アントワネットとその想い人フェルゼンは国境で引き裂かれる「既婚/未婚」という不義の間柄、オスカルを強く慕う下町の娘ロザリーは「同性どうし」の関係である。作中で婚姻関係にあるマリー・アントワネットとルイ16世は退屈な政略結婚として描かれる。つまり、恋愛感情が先にあるのではなく、成就しない関係ゆえに恋愛感情が発動する、それゆえに恋愛とは何かしらの二項対立的関係の「乗り越え」をつくることによって発動されるものだ、とハタチのぼくは「ベルばら」を通じて考察したのだった。
それから二十余年がすぎ、令和はかつてのような恋愛至上主義が退潮したような印象を受ける。かつて、六畳一間のアパートで、友人と「オスカルですらフェルゼンを好きになる世の中だもんな…」と下町のナポレオンを注ぎながら語り合ったのとは別の仕方で、令和の時代に「ベルばら」を介して恋愛について語ってみてほしい。
池田理代子による『ベルサイユのばら』(通称、ベルばら)は、フランス革命を背景にした壮大な愛と葛藤の物語である。少女マンガの枠を超えて、幅広い性別・世代に受け入れられている作品である。主人公のひとり、オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェが男装の麗人だったこともあり、宝塚歌劇団によって舞台化され、人気が更に上昇、社会現象化。1970年代末には実写映画やテレビアニメなどが制作された。日本人ならテレビアニメ『ベルサイユのばら』のオープニング主題歌「薔薇は美しく散る」(鈴木宏子)を一度は聞いたことがあるのではないだろうか。誕生50周年を記念した完全新作の劇場アニメが2025年1月31日に公開されるなど、連載開始(1972年)から半世紀以上経った今なお人気の作品である。その原作マンガである『ベルサイユのばら』、日本人の教養として人生で一度は読んでおきたい。名言や名台詞も多い作品だが、評者の一番お気に入りは「うけとってください わたしの……ただひとつの愛の証です……身を……ひきましょう……」(byフローリアン・ド・ジェローデル)。ちなみに、作者である池田理代子はマンガ家でありながら40代で音楽大学に入学するなど、その波乱万丈な人生も非常に興味深いものがある。