欧文作品名読み者原作備考年掲載誌:

HARADA Takayuki

漫画家

伝説のバンド「たま」の元メンバー石川浩司氏原作『「たま」という船に乗っていた』(双葉社・刊)の作画担当。トキワ荘商店街の元ボランティアスタッフ。

レビューの一覧

ねじ式

名作の証のひとつとして「パロディにしやすい作品」というのがある。 人気や知名度や評価が高いからこそパロディはしやすく、つげ義春の代表作「ねじ式」もこれにあてはまる。 「ねじ式」は1968年に青林堂刊「月刊漫画ガロ」の五月増刊号「つげ義春特集」で発表された短編作品である。それ以来、手塚治虫、鳥山明、赤瀬川原平、江口寿史、はてはポケモンにまで、扉を含めてわずか23ページしかないこの作品はパロディ化されている。 「ねじ式」は漫画評論家から「芸術漫画」と評価され話題を呼んだが、作者のつげ本人は1976年発行の小学館文庫「ねじ式」のあとがきで「芸術作品だとさわがれたのだが、ラーメン屋の屋根の上でみた夢なのだから、およそ芸術らしくないのだ」と半ば自嘲的に綴っている。 そう、この「ねじ式」は当時、水木しげるのスタッフだったつげが中華料理店に棟続きのアパートに住んでいた頃に見た夢が元になっている。 「夢」を作品化しただけあって「ねじ式」のストーリーの全体を簡潔に説明するのは難しい。 海水浴に来ていたうつろな表情の主人公の少年が「メメクラゲ」という謎のクラゲに左腕をかまれたという独白からはじまり、切断した血管を右手でおさえながら医者を探し不案内な町を徘徊する…というのが基本的なストーリーだが、その徘徊する道のりで出会う人物や風景に一貫性は無く、まさに他人の夢をみせつけられている様な不条理な感覚に襲われる。 そのリアルな筆致で描かれた人物や風景の多くは、当時のカメラ雑誌に掲載された写真家たちの写真を元にしていた事が現在では明らかになっている。 つまりストーリーは「夢」であるが、舞台は「現実」であるという事になる。夢と現実の融合、それが「ねじ式」という作品の大きな魅力なのだ。 「芸術漫画」のレッテルはともかくとして、短編漫画史上最高の名作である事は間違いないだろう。

蔵六の奇病

かつて漫画雑誌にはフルカラー印刷に比べ安価な赤と黒の2色のみを使った「2色カラー」ページがあった。1970年に「少年画報」に発表された、日野日出志の短編作品「蔵六の奇病」も冒頭8ページがその2色カラーで掲載された。全39ページの作品なので残り31ページはモノクロなのだが、どんな多色刷りのカラー作品よりも鮮烈な「色」がこの作品からは溢れている。 著者の日野日出志はギャグ漫画家を志し1967年に虫プロ商事「COM」でデビューするも作品の方向性に行き詰まる。そんな中でレイ・ブラッドベリ「刺青の男」に衝撃をうけ、叙情的な怪奇漫画を描こうと思い立ち、一年がかりで完成させたのがこの「蔵六の奇病」だった。 日野は主人公蔵六を自身の分身であるという気持ちで執筆したとの事だが、その言葉通り創作者の苦悩が表現された鬼気迫る内容となっている。 蔵六は死期のせまった動物が集まる「ねむり沼」の近くの村の農家の次男で、仕事も満足に出来ず絵を描いたり空想に耽る事が好きなため、兄から辛く当たられていた。 蔵六の夢はあらゆる色を使って絵を描く事だが、その色の入手法もわからず、村の子供たちにも馬鹿にされる始末。 その後、七色の腫瘍が次第に体中に広がる奇病に罹ってしまった蔵六を、病気が移るのをおそれた家族は「ねむり沼」のある森の空家に隔離してしまう。 そして蔵六は激痛に耐え、刀で自らの腫瘍を切って七色の膿みを出し、その膿汁を使って念願の「あらゆる色を使った絵」を描く事に没頭するのである。 ストーリーが進むにつれて変化する蔵六の造形は「恐怖漫画」ゆえ過剰なほどグロテスクに描写されているが、それをとりまく村人の蔵六に対する行為も(蔵六が怪物のような風貌に変化していたという理由はあるが)また同様にグロテスクといえる。 ラストは悲しくも一種のカタルシスを感じるものとなっているので是非とも読んで欲しい。

童夢

「大友以前・大友以後」という言葉がある。「80年代ニューウェーブ」というムーブメントの代表的な漫画家、大友克洋が後世に与えた影響を現す言葉だ。 その大友克洋が代表作「AKIRA」を連載する前の1980年から1981年にかけて双葉社「アクションデラックス特別増刊」「スーパーフィクション」に4回にわけて連載され、後に「AKIRA」連載中の1983年に単行本全一巻としてまとめられたのが「童夢」である。 冒頭、この作品のキーアイテムとなる「羽根のついた帽子」(これは「Dr.スランプ」のアラレちゃんの帽子である)を被った男が団地の屋上から飛び降りるシーンからはじまり、続いて捜査に来た刑事たちの登場でサスペンスものと思わせながら、徐々に巨大な団地で繰り広げられるサイキックアクションへと読者は引きずり込まれる。 その舞台となる団地も細密な描きこみで圧倒的なリアリティに溢れていて評価が高いが、団地に住む住人達の人間模様も同様にリアリティある筆致で描かれている事にも注目をしたい。ひきこもりの浪人生、子供を亡くした母親、職を失った父とその息子… その中で、認知症に似た状態で子供のようなふるまいをするチョウさんと、団地に引っ越してきた少女エッちゃんの2人の超能力者が団地内で縦横無尽に戦うバトルシーンがこの作品の見せ場となっているが、エッちゃんと共闘する「心が子ども」の青年ヨッちゃんや、チョウさんから与えられたピストルで凶行に及ぶエッちゃんの同級生の父の吉川も印象的だ。 そして超能力によって壁に身体が少しずつめり込む描写は従来の漫画表現に無かったインパクトを与えた名シーンとして語り草となっている。 単行本全一巻ながらそれ以上の読み応えがあり、大友作品初心者にもおすすめできる作品である。

まんが道

漫画の歴史を変えた名著といわれる作品がある。 その代表が「映画的表現」で後進の漫画家に多大な影響を与えバイブル視された手塚治虫作画(原作酒井七馬)の「新寳島」で、もう一作は石ノ森章太郎の「マンガ家入門」だろう。(これは漫画ではなく入門書なのだが、後進に与えた影響やバイブル視された点を考えれば「新寳島」と並ぶ名著といっても差し支えはないと思う。) さて「漫画史上三大名著」として語るなら、あと一作はどの作品がふさわしいか? 私は藤子不二雄Aの自伝的作品「まんが道」を推したい。 「まんが道」は1970年に週刊少年チャンピオンで「マンガ道」のタイトルで2Pの作品としてスタートし、その後1977年から1982年まで週刊少年キングに長編作品として連載され、1986年に全集「藤子不二雄ランド」の巻末連載をへて、最終的に「愛…しりそめし頃に…」とタイトルを変え1995年から2013年までビッグコミックオリジナル増刊号で連載され、藤子Aのライフワークとして実に43年もの長期にわたるシリーズとなった。 漫画に人生をかけた満賀道雄と才野茂のコンビが小学生時代に運命的に出会い、その後新進漫画家として故郷の富山から上京して二畳の下宿を経て、伝説の「漫画家の梁山泊」といわれたアパート「トキワ荘」に住み「まんが道」に邁進するという大河青春物語は、ストーリーの面白さもさることながら、漫画史に残る大作家「藤子不二雄」2人の「自伝」としても読める事ができるので漫画家志望者に多大な影響を与えた。 ただ藤子A本人が「実話7割、フィクション3割」といってるように、あくまでも「自伝的」であって、ノンフィクションの「自伝」ではない。 研究者はその事を注意したほうがいいが、一読者としては気にせず青春群像を楽しむのが良いだろう。 漫画家志望者に限らず、何かに打ち込んでいるものがある人にとって心打たれる名作である。 ※正確には藤子不二雄Aの「A」は◯囲みのA 手塚治虫の「塚」は旧字体 石ノ森章太郎の「ノ」は小文字

はだしのゲン

今でこそ学校の図書室に漫画が置かれる事は(多く無いにせよ)普通にあるが、以前は「はだしのゲン」が図書室に置いてある唯一の漫画として有名だった。 「はだしのゲン」は作者中沢啓治の自伝的作品であり、主人公の中岡元は作者の分身である。後に文章で書かれた自伝と照らし合わせると、物語の最初の数話はほぼ実話だ。 そうした原爆の惨禍だけでなく、当時の世相や作者自らの思いがダイレクトに描写されている事もあり、近年図書室から撤去する学校も出て来て議論を呼んだが、中沢は没後の2024年にアメリカで最も権威のある漫画賞「アイズナー賞」の殿堂入りを果たした。 それは「原爆ドーム」が、終戦直後には取り壊すべきという声もあったが保存されて、後に世界遺産に認定された事とかぶって映る。   中沢の絵柄と演出はとても濃密で「漫画」というよりは「劇画」であり、現在の漫画表現からすると時代遅れとも映るかもしれない。それでこの作品が敬遠される向きもあるが、それはとても勿体ない事である。 その濃密な筆致で描かれる「原爆の惨禍」や「反戦」は確かにこの作品の根源ではあるが、もう一つ「若者の成長」というテーマがあり、被爆した焼け跡から這い上がる少年少女たちの青春物語でもあるのだ。 そしてもともと週刊少年ジャンプで連載がスタートした事もあってか(1973年~1974年間連載された後「市民」「文化評論」「教育評論」各誌にわたり、1987年まで連載)漫画としてのエンタメ性も忘れずに描かれている。 つまり語弊を恐れずにいえば、この「はだしのゲン」はとても「面白い作品」なのである。   戦後80年。もしこの作品を敬遠している人がいれば、80年前の「時代劇」としてこの作品に触れ、その上で実際におきた原爆の惨禍や、戦後の歴史について改めて考えてみるのも、ひとつの読み方としてあってもよいと思う。