欧文作品名読み者原作備考年掲載誌:

KOROKU Takuya

株式会社ナンバーナイン取締役CXO / 編集者 / 京都精華大学ゲスト講師

1985年兵庫県生まれ。人材会社での広告制作を経て編集者としてのキャリアをスタート。その後スタートアップのディレクターとして参画し動画コンテンツを制作した後、2016年11月に漫画好きの友人らとナンバーナインを共同創業。現在は社内外のコミュニケーション戦略や組織戦略全般を担当する。好きな漫画は『うしおととら』『なにわ友あれ』『スピリットサークル』『神々の山嶺』『違国日記』。
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レビューの一覧

タッチ

『タッチ』ほどカテゴライズに迷う漫画はない。多くの読者は双子の兄弟である達也と和也による朝倉南を巡るラブコメ漫画と捉えて読むであろうが、野球部のエースピッチャー・上杉和也とその双子の兄・達也が甲子園出場を目指す野球漫画と捉えることもできる。ほかにも、野球も恋愛も織り交ぜた高校生の青春群像劇とも言えるし、和也と達也のブラザーフッドとして読むのもおもしろい。『タッチ』のすごいところは、これらのどの側面からも読者の期待を超えてくれるところにある。野球漫画としてもライバルが登場し、恋愛漫画としても双子の兄弟がヒロインを奪い合う構図が自然にできてしまっており、それらが複雑に絡み合うことで10代特有の思春期を見事に表現しているのだ。『タッチ』を読み返すと、登場人物たちの心のゆらぎを表現するときは極端にセリフが省かれていて、かと思えば達也と南のやり取りは言い争うことが多かったりと、セリフ外の表現の巧みさにハッとさせられる。感情表現の濃淡を、言葉抜きにして表現する独特の間や空気感は、あだち充の傑出した才能だ。一番驚くのが、この設定もストーリーも完璧と言っていい作品が、1981年に誕生しているところだ。ラブコメは世代間ギャップが生まれやすいジャンルであり、長く読み継がれる性質のものが少ないなかで、『タッチ』が世代を超えて愛されている理由は、このジャンルをクロスオーバーさせた万能性にあるのではないだろうか。それにしても、スポ根と恋愛を同時に表現する物語がほとんどなかった時代に、あだち充がどのようにしてこの物語を生み出したのかが不思議でならない。

はだしのゲン

僕がまだ小中学生だった1990年代は、戦後50年を迎える年代もあり戦争を題材にした物語を目にする機会が多かった。そのなかで、いまでも記憶に残っているのは金曜ロードショーで度々目にした『火垂るの墓』と小学校の図書館で繰り返し読んだ『はだしのゲン』くらいだ。『はだしのゲン』は、原爆が落とされた広島の地でたくましく生き抜く少年・中岡元の物語である。物語は原爆が投下される少し前から始まるが、投下された直後に元と母親が家屋に下敷きになり身動きが取れない父親と姉弟が火達磨になる様子をなすすべもなく見届けるさまや、そこかしこに身体中が焼けただれた人が倒れ、生き残った人たちも気が狂っていく様子に目を背けたくなる。およそ現実に起こったこととは思えないほど凄惨な世界が眼前に広がっていた。非国民や鬼畜米兵、ヒロポンなど、この本から教わった言葉も少なくない。読むだけでトラウマを植え付けられるような悲惨な描写が多くあるにもかかわらず、『はだしのゲン』がこうしていまも注目されているのは、戦争の残酷さを伝える資料性の高さだけでなく、底抜けに明るくて優しい元をはじめとした登場人物たちのドラマに魅了されるからなのではないだろうか。戦争を知らない僕たちにとってはもはやファンタジー世界のように読めるからこそおもしろいのも事実だが、これがかつての日本で実際に起こり、そしていまも世界のどこかで現実に起こっていることを忘れてはいけない。こうした作品を生み続け、後世に語り継いでいく責任があるのではないだろうか。

アシュラ

「アシュラは生まれてこない方がよかったギャ」。金持ちの散所太夫と妾の間に生まれ、狂った母親に殺されかけながらも生き残ったアシュラ。幼くして人を殺し、人肉で飢えを凌ぐことしかできず、まさに生き残るために手段を選ばなかった彼が簡単な言葉を覚え始めたころに叫んだこのセリフが重い。 ジョージ秋山が『銭ゲバ』でも描いた人間の美醜(それは決して表面的ではない)について、『アシュラ』では舞台を平安時代の飢饉に移し、よりプリミティブな世界観で描かれている。しかし、その過激さゆえに、同作が掲載されていた当時の『週刊少年マガジン』は神奈川県で有害図書指定され、社会問題にまで発展した。門を曲がればポリコレにぶつかるくらい社会的に「表現」に対する取り締まりが強まる昨今では、こうした表現はいくらメッセージを宿していたとしても編集部の検閲でストップがかかるだろう。それでも、かつてこうした表現が漫画でなされていたという事実は、漫画の懐の深さを思い出させてくれる。それにしても、こんな過激で前衛的な作品が掲載されていたのが"少年"マガジンというのが愉快である。

あしたのジョー

「今日に至るまでの漫画界には、大きく2つの流れがある。その源流にいるのが、手塚治虫とちばてつやだーー」。僕にそう話してくれたのは、89年の連載開始からいまもなお現役で連載されるボクシング漫画『はじめの一歩』作者の森川ジョージ氏だ。そしてもちろん、森川氏の源流にいるのはちばてつやであり、氏が生み出した『あしたのジョー』から少なからぬ影響を受けていることは疑う余地もないだろう。90年代を幼少期として過ごした僕の世代の人たちで、『あしたのジョー』の物語を最後まで読んだことがある人はきっと多くはいないと思う。しかしながら、「燃え尽きたぜ…真っ白にな…」という言葉とともにリングのコーナーで真っ白になったジョーの姿はあまりにも有名であり、このシーンを聞いて『あしたのジョー』を思い浮かべる人は少なくないはずだ。ファンタジーの世界や人間社会について俯瞰で見つめ我々に気づきを与えてくれる手塚治虫であるならば、ちばてつやは漫画の黎明期において一人の人間の生き様を描くことでその時代を映し出すことのできる稀有な漫画家だったのだと思う。戦後最大のヒット漫画と言われる同作ではあるが、いま読んでも色褪せるどころか鮮やかすら感じさせられるのは、矢吹丈の生き様がそこに刻まれているからかもしれない。

火の鳥

漫画業界に身を置いていると、「現代の漫画のあらゆる技法が手塚治虫がつくりだしたものの延長線上にある」という話を聞くことがある。なんとなく言いたいことはわかるがいまいちピンとこない。そんな方は、迷わず『火の鳥』を読むといい。『火の鳥』は、「人間が何のために生きるのか」という問いを、黎明編・エジプト編・ギリシャ編・生命編・太陽編・ヤマト編・宇宙編などあらゆる切り口から描くことで我々読み手に突きつける。1950年代は漫画のまさに黎明期で、作品数も少なければジャンルも限られていたし、いまのように表現の幅も広くなかった。そのなかで、『火の鳥』はコマ割りの美しさや柔軟性、オノマトペの多様さ、シリアスな場面に突如読者視点や作者視点を入れ込むユーモアなど、表現手法はかなり挑戦的で多岐にわたる。もちろん物語の普遍性や各編の人間ドラマは言うまでもないが、この手数の多さは、今読み返しても驚きと発見がある。その意味で、手塚自身が文字通り人生をかけて描き続けたこの漫画は、漫画に無限の可能性を見出し、自身の持てる技術のすべてをぶつけることで未来の漫画家たちに託したバトンだったのではないかとすら思えてくる。漫画がMANGAとして世界中で愛される文化になり得たのは、手塚治虫がいたからであり、『火の鳥』が「生命とは」と同じくらい「漫画とは」を問いかけ、そのバトンを受け取り、応え続けてきた数多の漫画家たちのおかげなのではないだろうか。