御子柴 雅慶MIKOSHIBA Masayoshi
MANGA ART HOTEL オーナー
新卒で楽天株式会社に入社。在籍時は営業部社員全体の500人中広告営業成績が全国1位となる。アジア進出の要であった楽天シンガポール立上げに参画後に退職し、「株式会社dot / dot inc.」を設立。これまでにNHK・TBS、日テレ、新聞雑誌などの様々な400媒体で取材を受ける。2022年に小学館と資本業務提携を行い、BOOK HOTEL神保町、MANGA ART ROOM神保町、BOOK HOTEL京都九条、MANGA ART HOTEL馬喰町をオープン。国内客だけではなくインバウンド旅行者も対象にビジネスを行い漫画を世界に広げる動きに携わっている。
レビューの一覧
夢を持ち挑戦する人々との出会いが、漫画家を志す少年たちの心を奮い立たせる。この作品では、小学生の頃から強い夢を抱き続ける友人や、手塚治虫先生の熱烈なファンである同年代のライバルたちと切磋琢磨しながら夢を追う姿が描かれる。
本作はフィクションを交えた藤子不二雄先生の自伝的作品という位置づけだが、まるで明治維新のように、漫画が文化として本格的に産声を上げた「漫画維新」の時代が描かれている。戦後の若者たちが情熱を持ち、漫画市場を切り開いた歴史的事実を読み取ることができる点も魅力だ。
さらに、漫画家だけではなく、赤字を抱えながらも雑誌を刊行し続けた出版社や編集者の姿が丁寧に描かれており、業界に関わる人々全員が漫画業界を良くしたいという熱い想いを持っていたことが伝わってくる。
完徹が当たり前で、二徹三徹を重ねながら複数の作品のアイデアを同時進行で練り、描き上げる日々。主人公の満賀は、尋常ではないプレッシャーに押しつぶされそうになりながら締切に追われる夢を見てうなされる日々を送る。
それでも、トキワ荘の四畳半の部屋で漫画を描けることや、校了後に洋画を観てアイデアの糧にし、ラーメンやキャベツ炒めを食べる時間に幸せを感じるなど、厳しい生活の中で描かれる本質的な心の豊かさには心を打たれる。
このような常人では考えられないような努力を自責思考で捉えながら、魂を燃やし作品を生み続けた漫画家たちの情熱こそが、日本が世界に誇る漫画文化を築き上げた原動力であった。この事実を、多くの日本人に知ってほしいと強く感じる。
戦後の偉人たちの生き様が胸を打つ、感動的な作品である。
銀河鉄道999は、永遠の命を手に入れるために機械の体を求めて旅立つ少年・鉄朗を主人公とした物語だが、鉄朗は徐々に限りある生身の体だからこそ得られる感覚や感情の尊さに気づいていく。少年の成長を描きながら、私たちにも有限な世界で生きる意味を問い直すきっかけを与えてくれる作品だ。
私がこの作品に初めて触れたのは10歳の頃だった。鉄朗が食堂車で食べるビフテキの描写に魅了され、外食ではステーキを頻繁に頼むようになったのを覚えている。未知の惑星を巡る銀河鉄道という設定や、宇宙を動く食堂車の存在は、子ども心を大いにくすぐるもので、自分も知らない世界を見たい。という気持ちにさせられたのを覚えている。
物語の中で鉄朗は、銀河鉄道999に乗り込み、アンドロメダを目指して数々の惑星に停車する。それぞれの惑星では独自の文化やルールが描かれ、時には惑星そのものが意思を持って鉄朗と語り合うこともある。多くの惑星ではルールの中での不自由さが描かれ、そこから抜け出すことを夢見る人々が鉄朗たちと出会う。こうした「自由を望む人々」と「自由を持つ鉄朗たち」の対比が、物語の奥深さを引き立てていく。
鉄朗が持つ銀河鉄道の定期パスは、この物語における最も重要なアイテムだ。どの惑星でも普遍的な価値を持つこのパスは、鉄朗の成長と旅を象徴する存在とも言える。鉄朗はしばしばこのパスを紛失するが不思議といつも彼の元に戻ってくる。定期のもつ宇宙における共通の価値は、地球と違う惑星に生きる人も宇宙人ではなく同じ人であると感じさせてくれる。
また、鉄朗の好奇心はこの物語のもう一つの魅力だ。時には命の危険を顧みないその行動がトラブルを招くが、好奇心を持ち続けることこそが成長の鍵であり、旅を旅たらしめる要素だと気づかせてくれる。この旅路が単なる移動ではなく成長の物語であることを、鉄朗のとめど無い好奇心が教えてくれるのだ。
車掌の正体などいろんな謎が残る作品でもあるが、未知の宇宙にこんな世界があったらいいなと思わせてくれる壮大な世界観が読む人を魅了する。
哺乳類である人間だけが持つ創造性に、大きな刺激を与えてくれる不朽の名作をあらゆる世代の方に是非読んでもらいたいと思う。
漂流教室は、未知との戦いではなく「事実をどう解釈するか」を巡る子供たちの戦いの物語です。初めて読んだとき、謎の怪物との戦闘シーンにはさほど心は動きませんでした。しかし、子供同士が殺し合う衝撃的な描写には恐怖を覚え、胸が締めつけられ恐怖したのを今でも覚えています。
主人公のショウは、小学6年生という幼さながらも、明確なビジョンとリーダーシップを持つ少年です。「おかあさん、おかあさん」と泣き叫ぶ姿に心が痛みますが、彼は受け入れ難い現実を自分なりに解釈し、その強さで他の生徒たちを引きつけます。この「強い解釈力」こそが、彼を生存へと導く鍵になっています。
一方で、物語に登場する大人たちは皆「解釈に負ける」存在です。彼らは絶望に囚われ、それが他者へと伝播し、負の感情を連鎖させてしまいます。この状況に抗うのは、ショウのようにリーダーシップを持つ一部の子供たち。彼らは、大人ですら直視できない現実をどう受け入れるか、どのように解釈するかを必死に模索しながら生き抜こうとします。
物語のラストで描かれる解釈は、もはや子供らしさの延長にあるものではありません。しかし、生き延びて強くなったショウたちが紡ぎ出した解釈だと考えれば、それは希望に満ちた結末です。
この作品では、「事実そのもの」よりも「その解釈」が物語の核心にあると感じました。子供的な純粋さ、大人的な合理性、そしてその中間で揺れ動く彼らの姿が織りなす、緊張感あふれるサバイバルホラー。読むたびに新たな発見があり、深く心に刻まれる作品です。
ぜひ、多くの方に『漂流教室』を手に取っていただき、自分なりの解釈を楽しんで頂ければと思います。
撃墜王という言葉がある。
5機以上の撃墜をしたパイロットのことをいう。
本作の太平洋戦争での実際の日本人の撃墜王は200人にも満たないようだが、主人公の滝と共に戦うメンバーはみな撃墜王の凄腕揃いであり、そんな日本屈指の凄腕のパイロットたちが終戦直前の日本の置かれた状況を必死に生き抜き、なにを考えていたかを感じることができる作品が本作である。
主人公の滝は険しい戦闘機同士の戦いに勝ち、生き残りながらも戦争の矛盾に葛藤する。
敵兵も、味方の死も、人の生に平等に向き合うことで、思考することを妥協しない。
そんなことをすると戦うことが辛くなると分かっていながらも思考を止めないのである。
「戦争ってなんだ?なんのために戦争をやるんだ?
いったいだれがこんなことをはじめたんだ?」
「おれはこの真っ暗な空の中で戦争という
ものを考えてみたいんだ。」
「新しい日本の将来を考えたい
ゆめがあるよ。たとえ敗戦国日本と呼ばれようと..」
新しい日本を夢見て前を向こうとする滝の姿に胸を打たれる。
迫力ある空中戦とともに、戦争を単なる事実として捉えるだけでなく、その時代を生き抜いた人々が敵も味方も越えて生きる意味と向き合ったであろう価値を感じることができる。
絶対的な権力に対する滝の若さ故の反抗と、
日本男児としての葛藤と、
待つ人々と向き合うことが出来ない、ひたすらにやるせない感情が押し寄せてくるラストは必見だ。
平安時代末期。飢餓に苦しむ人々の中には、死が目前に迫ってもなお互いを思いやり食料を分け合う者がいる一方、極限状態に置かれたときには目の前のものを食料と認識し、結果としてカニバリズムに至る者もいた。食人という手段で人間としての尊厳を失うことで生き延びたとしても、救いのない運命が待ち受ける中、「悪を行えば地獄、善を行えば極楽に行ける」という教えさえ虚しく響く世界。「そんなことは迷信だ。生きているうちが地獄だ」というこの世界を生きるものの感情が代弁される。生きていることそのものが地獄だと叫びたくなるような現実が、冒頭から圧倒的な迫力で描かれる作品が「アシュラ」である。
当作品の主人公のアシュラは、法師や若狭からどれだけ説かれても、憎むことで、殺めることで自らをより苦しめていく。殺したいほど憎みながらも、殺めた後に涙を流し、人間らしさを爆発させるアシュラ。その葛藤が深く描かれる。
「生まれてこなければよかった」というセリフを子どもたちが繰り返す絶望の世界で、孤児たちは破天荒で危険極まりないアシュラのリーダーシップを未来への希望と感じてしまう。絶望に満ちた世界の中で、アシュラという存在が微かな希望を象徴している。そんな本作は、読む者に生きることの本質を突きつける重厚な作品だ。