森尾 貴広MORIO Takahiro
大学教授
関東のとある大学の教授。授業でSF思考とマンガストーリーメイキング手法を活用した課題解決型ワークショップを実施している。オンラインでの授業・講演・打ち合わせは二次元のすがたで行っており、そちらの方が世に知られているかも知れない。参与観察のためCGイラスト集や3Dモデルを作成しリアル・バーチャルな同人誌即売会に参戦しているが、データは順調に集まるものの、全く売れずに頭を抱えている。
レビューの一覧
わたしは大学の授業でSF思考(SFプロトタイピング)とマンガのストーリーづくりの手法を用いて、未来を生きる人びとのストーリーを考えることを通して、未来社会のあり方と課題を議論するワークショップを行っているが、「ドラえもん」は物語づくりおよびキャラクターづくりのよいお手本として活用している。
第一幕:のび太はジャイアンとスネ夫に無理難題を吹きかけられる。
第二幕:ドラえもんが未来の道具でその難題を解決する。しかしながら話はそこで終わらず、のび太はその道具を悪用してイタズラをする。
第三幕:悪用も永くは続かず、のび太は失敗し懲らしめられる。
以上が「ドラえもん」の基本的な物語構成であるが、シンプルながらも極めてわかりやすい三幕構成となっている。主人公のび太、相棒ドラえもん、対立者ジャイアンとスネ夫、時には支援者としてしずかのように、キャラクターの設定・立ち位置も極めて明確である。学生に物語づくりを指導する際に、「ドラえもんの第二幕はこういう展開だけど、あなたのストーリーならどう当てはめる?」「あなたのこのキャラクターはドラえもんのキャラクターでいうと誰にあたるの?」と問えば学生も良くこちらの意図を理解してくれるのである。
「ドラえもん」のストーリーは「課題」が解決したあとも万事全て良しではなく、新たな課題が表れてくること、ある課題解決法の適用にあたっては「のび太のイタズラ」のような想定外のリスク(それゆえのび太は「最強のベータテスター」でもある)をいかに気付いて評価するかが重要であることを気付かせてくれる。特に後者については想定外に思いをはせるSF的発想が鍛えられるのである。
「ドラえもん」は先が全く見通せないVUCAな現代社会において先を見通す能力を涵養する格好の「学習マンガ」と言えよう。
高橋留美子の出世作であるSF学園ラブコメ「うる星やつら」は80年代のマンガ・アニメの代表作として輝きを放ち、2022年の再アニメ化も含め長きにわたりインパクトを残している。
本作については1981年より放映されたTVアニメ、そして1983年の第一作「オンリー・ユー」、押井守の名をコアなファン層に印象づけた「ビューティフルドリーマー」等のオリジナル4作と原作の最終エピソードを下敷きにした完結編の劇場版アニメの影響が計り知れない。当初こそ原作の内容に準拠した1回2話のフォーマットであったが、1回1話になるに当たり原作回への追加エピソードの挿入や完全オリジナル回が多く作られ、アニメ版スタッフの「暴走」として物議を醸すこともありながらも人気の増幅に拍車をかけた。こうしたオリジナル回は特に原作ではモブキャラ扱いだった「メガネ」はアニメ版ではエキセントリックなキャラクターとして、声をあてた千葉繁の怪演も相まって、ストーリーの強烈なアクセントあるいはエピソードの主役級として主要レギュラーメンバーとなり、作品世界の拡大の一翼を担った。
アニメ放映に合わせて出版された「少年サンデーグラフィック」シリーズは綴じ込みのミニポスター、セル画、シールならびに高橋留美子およびアシスタントにより描き下ろしの日記マンガ、アニメの設定資料集を掲載したムック本で、アニメ情報誌のようなサードパーティではなくマンガの出版元自身によるムック本の嚆矢となった。
さらには日本におけるコスプレの草分けである「ファンロード」誌での一本木蛮のラムのコスプレ、アマチュアのみならずプロのクリエイター(マンガ家、アニメーター)による同人誌、アニメのモブシーンでのラクガキ等の二次創作等、ある意味インフォーマルなクロスメディア展開の先駆けでもあった。
クロスメディア展開という観点からも、「うる星やつら」は異彩を放つ存在であった。
「Dr. スランプ」はグローバルな作家鳥山明の最初の連載作品でありその後の方向性を決定づけたものであるが、連載を通した作風の変遷のなかでいくつかのターニングポイントが見て取れる。
本作は自称天才科学者の則巻千兵衛博士と彼が作ったアンドロイドのアラレによる「博士と助手」のSFコメディ的フォーマットを取っており、アラレを含む千兵衛の発明するガジェットが巻き起こすドタバタ劇を描いている。連載初期はバタ臭さの強い特徴的な絵柄でアラレの等身も高めに設定され、アラレが主人公となっていながらも千兵衛が物語展開のキーパーソンとして描かれていた。オリジナル版単行本の1巻後半からアラレの等身が次第に小さくなり、千兵衛に対する冷静で毒のあるボケ・ツッコミ役から幼児性のある天然キャラに軌道修正がなされ、「とつげきアラレちゃんの巻」(オリジナル版第2巻)あたりでスタイルの定着をみた。千兵衛もモシャモシャ頭のマッドサイエンティスト的風貌から短髪の「お父さん」的スタイルになり、ガッちゃんの登場もあわせてポップなファミリードラマとなり、当初の毒がかなり薄れた。
本作のファミリードラマ性は千兵衛と山吹みどり先生との結婚のエピソードによく表れている。アラレとガッちゃんの世話に手を焼く千兵衛の姿を見て目を細める山吹先生のコマの次のページで、大ゴマで描かれる結婚式という展開は、連載当初の毒を交えたSFコメディからの決別を象徴しているように思える。この目を細める山吹先生の表情もそれまでに彼女が全く見せたことのないものであり、連載当時に目にした際、違和感を覚えたことを記憶している。
アラレのピュアな主人公像は「Dragon Ball」に引き継がれ、ファミリードラマ的要素は少年ジャンプのいちフォーマットとなったが、鳥山があの時捨てたものが今続いていたらと、つい仮定法過去完了に思いをはせてしまうのである。
1963年、「サブマリン」という当時耳慣れぬカタカナのタイトルを冠したマンガの連載が始まった。後に「沈黙の艦隊」のヒットで主役メカとしての潜水艦が広く認知されたが、当時はまだ知名度が低く、「サブリマン」と誤読されることもあった。
本作の第1部である「U結社篇」はブラジル行きの定期船が謎の潜水艦に襲撃され、乗船していた少年3人が海上自衛隊の潜水艦SS707号「うずしお」に救出されるところから始まる。謎の潜水艦は世界統一をもくろみるU結社のものであり、707号及びその僚艦との海底における壮絶な闘いが繰り広げられる。戦闘シーンは小気味良いテンポでまさに手に汗を握る展開であり、「ドンガメ」と称される鈍足の旧型艦707号(I世)で敵潜水艦と互角以上に戦う速水艦長の戦術が光る。敵の首魁であるシュミット・ウルフはかつて第二次世界大戦で速水と共に戦い、命を救われたことがあり、敵味方として対峙する葛藤、特にウルフの迷いが戦記物のテイストで描かれている。
本作を際立たせているもののひとつに作中コラムの「サブマリン教室」がある。「サブマリン教室」は潜水艦の基礎知識や作中の兵装(本作の初期は実在のものが多かったが後に大半が架空のものとなる)や対潜水艦、海上艦艇、航空機戦が図解入りで解説され、読者の理解を深めると共に、架空兵装を含め作品世界のリアリティを高める働きを担った。
加えて、今井科学から発売された707号他のプラモデルは読者が本作の世界観に没入するアイテムとなった。このモデルは水中を航行し、機械式浮沈装置により自動で潜航と浮上を繰り返す仕様となっており、模型少年の憧れの的であった。
本作は直接、間接的に後の艦船冒険ものに影響を与え、作中にオマージュされた。本作の連載終了から長い月日を経て日本のアニメ界に大きな影響を与えた艦船活劇がテレビ放映された。
「宇宙戦艦ヤマト」の放映開始まであと9年。
1968年、先行する少年マンガ誌、「少年マガジン」「少年サンデー」から遅れること9年、後に日本のみならず世界のマンガ・アニメシーンを牽引する「少年ジャンプ」が創刊された。
創刊当時こそ既成作家をラインナップに揃えられたものの、専属作家の不足は否めず、作家の発掘・育成は急務であった。その中で全く対照的なアプローチで少年読者の心をつかみ、その後の週刊少年ジャンプの方向性に大きく影響を与えた、若手作家による事実上のローンチタイトル2篇の連載が始まった。ひとつは永井豪の「ハレンチ学園」、もうひとつは本宮ひろ志の「男一匹ガキ大将」である。
「ハレンチ学園」はエログロナンセンス路線を突き進み、スカートめくり等読者少年の「隠れた欲望」に訴え人気を博したが、悪書として当時のPTAから指弾を受けるなど、社会問題を引き起こすに至った。「ハレンチ学園」が変化球路線とすれば「男一匹ガキ大将」は少年ジャンプのスローガンとされる友情・努力・勝利を体現する少年マンガのど真ん中を行く突破力のある剛直球路線であった。
本作の魅力は主人公戸川万吉の底知れぬ人たらしぶりとスケールの大きなケンカである。万吉の破天荒な行動力と自然に湧き出てくるただ者ならぬオーラは周囲を魅了し、対立する者、一度敵に寝返った者(万吉の千人の子分は敵の調略によって何度も寝返ってしまう)を味方にし、最大のライバルである「水戸のばばあ」をも邂逅時から一目置かせるのである。主人公の圧倒的な人たらしぶりは本宮作品の共通する特徴であり、本宮本人が主人公の「やぶれかぶれ」において昭和最大の人たらしである田中角栄との対話を描くに至っている。
「ファンロード」誌において「リングにかけろの法則」として称された「負けない、死なない、殴り合ったらお友達」は現在の作品群に至るまでフーガのごとく少年ジャンプの重低音を奏でているが、本作が最初の一振りと言えよう。