石井 茜ISHII Akane
北九州市漫画ミュージアム学芸員
福岡県出身、山口大学卒業。2012年に北九州市漫画ミュージアムに入職し、展覧会の企画・運営、収蔵品のアーカイブ作業や北九州ゆかり作家の調査・研究活動などに従事。2024年より、読売新聞東京版のマンガ書評コラム「本よみうり堂 いちおし!」を担当。
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「血ワキ肉おどる問題の町小倉!!」と松本零士は自作『昆虫国漂流記』(1974年)で戦後の小倉市(現在の北九州市小倉北区および小倉南区)の雰囲気を述懐した。商業都市として栄え、軍都としての側面も持った街の、活気あふれつつも混沌とした様子が伝わるモノローグだが、こうした北九州の清濁合わさった情景をよく描いたのが畑中純だ。舞台となる九鬼谷温泉郷は、小倉の繁華街から少し離れた山間部にする架空の温泉地だが、ここに多く集うのは、都会から逃げてきた男、うだつのあがらない中年、ヤクザもの、何かわけがありそうな女性…つまり社会の枠や、光の世界からこぼれ落ちる寄る辺ない人々である。生きづらさを抱えた愛すべき人々を受け入れるサンクチュアリとして描かれる九鬼谷は、そのままかつての北九州の解放的な空気をも伝えている。高度経済成長期を経て、さまざまな社会問題を背景に、日本人が物質的な豊かさや大都市の輝きの外に重要なことを見出そうとしていた1970年後半。マンガ界では地方を舞台に、人間性を日常から探求する文学的な名作が次々と生まれたが、本作もそのひとつに数えられる。
しかし何をおいても言及すべきは、艶笑譚としての魅力だろう。すけべであけすけな高校生・良太と腐れ縁の幼馴染・月子という主人公カップルを中心に、男にあり、女にもある取り繕わない性への欲求がのびのびと、あふれんばかりのユーモアでもって描かれる。と同時に、性と性欲に翻弄される人間の哀しみも歌い上げるのだから圧巻だ。畑中の描く、飾り気のないありのままのからだの、なんとエロティックなことか。疲れた時に読むと何とも目と心を癒される、まさに“大人のサンクチュアリ”と言うべき作品だ。
ぜひ、若者に読んでみてほしい作品である。前置きもなくそう語ってしまうほど、『マカロニほうれん荘』には古びない魅力がある。それが何かと言えば、色々と思い浮かぶが、まずはファッション性に注目したい。当時の音楽や流行、若者文化など、サブカルチャーを巧みに取り入れたセンスあふれる絵や濃厚なパロディは、その文脈を知らずとも魅了されるほどおしゃれで洗練されている。掲載は少年マンガ誌だが、太めのくっきりとした描線で描かれるキャラクターたちはポップで可愛らしく、少女雑誌で愛されたスタイル画をも想起させる。キュートでユニセックスな絵柄は恐らく今の10~20代にとっても違和感のないものだろう。そうした「素敵な」絵柄で、脈絡なく嵐のように展開されるハイテンションでハイテンポな、突き抜けたギャグの破壊力たるや。時事ネタも多分に含むはずだが、とにかく訳も分からないままに勢いで笑わされてしまう。かといって尖りすぎているわけでもなく、スラップスティックコメディーの中に青春のきらめきや恋のときめきもあり、奇跡的なバランスで成立している傑作だ。
さまざまな要素で構成された濃密なギャグマンガである本作は、読み進めていくと「作者は命の炎を燃やしているのではないだろうか」と思わせるほどの疾走感を感じさせるのだが、改めて確認すれば、連載期間は2年という短さ。それでいて、この作品が同時代の作家に与えた衝撃と、そして後世に残した影響は計り知れない。時代を猛スピードで駆け抜けたエポックメーキングである。
独特な言葉や風土、風習、その地方で生きる人々の(他方から見るとある種特殊な)日常といった、さまざまな意味での「地域性」を題材にしたマンガが一般化して久しい。本作は『土佐の一本釣り』に続き、青年マンガ誌上においてローカリティを全面に打ち出した黎明期の作品であると同時に、大衆的な人気を獲得することでこのジャンルを確固たるものにした。
舞台は福岡市の中でも商人町としての歴史を持つ博多地域。博多祇園山笠はこの地域の重要な伝統行事であり、本作も山笠に始まり山笠に終わる。ここで描かれる山笠中心と言ってもいい生きざまは、福岡市出身ではあるが「博多」育ちではない筆者にとっては馴染みがなく、つまりそれほどローカルな感覚を描いているのである。全編をとおして登場する博多弁は言わずもがな、濃厚な地域色がありながら本作が全国の読者に親しまれたのは、等身大の、ふつうの少年の日常と成長が主軸にあるからだろう。思春期真っただ中の中学生・六平が、時にまっすぐ、時に下半身に振り回され、青春時代を蛇行しながら進んでいくさまは、我がことのように悩ましく、共感をもって受け入れられたはずだ。
中学生まで博多で過ごした長谷川法世が、群雄割拠するマンガ界で己にしか描けないものを求め、強い郷愁を背景に執筆した『博多っ子純情』。ローカリティとそれに伴う地域固有のアイデンティティを愛おしいものとして描きつつ、ある時代の青年たちにとっては普遍的な物語となったわけだが、福岡県内では、六平とヒロインの類子、そして長谷川自身が登場する地元銘菓のCMなどを通して、時代、そしてマンガというメディアを超え、「博多的」なものの代名詞として現在まで親しまれている点も面白い。