荻野 健一OGINO Kenichi
メディアプロデューサー。京都芸術大学芸術学部キャラクターデザイン学科教授(マンガ史・キャラクターデザイン概論など)デジタルハリウッド大学大学院名誉教授。
アートディレクターとして企業のロゴマークやキャラクターデザインなどを手掛けたのち、食品メーカーやシンクタンクで商品開発やマーケティング活動に従事し、テレビ局で番組企画やアニメ企画のプロデュースを行う。デジタルハリウッド大学院では、日本のコンテンツの海外展開の可能性を探り、地域と世界を結びつけるため10年ほどトキワ荘大学などのプロジェクトを推進している。
京都芸術大学では、日本文化とマンガというメディアの相関性を中心に研究を行っている。
レビューの一覧
「リボンの騎士」は宝塚歌劇の舞台をモデルにしたと知られている。物語の主人公サファイアのモデルは手塚がファンである宝塚の淡島千景である。
リボンの騎士のサファイヤ王女はもともと娘役である淡島が歌劇で男役を演じた作品を観劇したことが物語のヒントだと手塚本人が生前テレビ番組で語っている。その作品は1948年1月の月組公演ベネチア物語の男装するポーシャ姫の役を指すと推定されている。
この作品の劇中で淡島千景が何度か娘役と男役に入れ替わったことがヒントなり、物語を構成したことを読み取ることができる。また手塚は戦前からディズニー作品を見ていたことで、宝塚とディズニーを融合させたロマネスク世界のファンタジーという世界観を少女誌で初めて漫画で高度なストーリーを展開した作品でのちの女性作家の物語作品の原点と言われる。
1953年の連載開始時には、月刊誌とはいえ少年誌に「ジャングル大帝」「鉄腕アトム」「ぼくの孫悟空」など7本の連載を持っていた。
この作品は野球漫画であるが、スポ根ものとは一線を画している。当初は柔道漫画でスタートしたが、7巻目で野球漫画に方向転換をする。元々野球漫画を企画したもののライバル誌で「男どアホウ甲子園」を連載していたため控えたそうである。
その中学柔道の大会では「イガグリくん」の主人公伊賀屋栗助を登場させ、主人公のドカベンも野球選手らしくないがっしり体型であることも福井英一の影響もあったのであろう。野球のルールを緻密にストーリーに組み込むことで野球の面白さを伝えることで、登場人物それぞれの背景をドラマとしてリアルに描き上げ、他のスポ根ものに出てくる魔球や超人的・非現実的な要素とは違うリアルな野球の描写を盛り込んだことが当時としては斬新なものであった。
ファンタジーの世界に行きがちなマンガの世界で、キャラクターのリアルなドラマは男性ファンばかりでなく、女性ファンを増やすことになったのであろう。
野球漫画の金字塔として、未来に残していきたい作品である。
説明するまでもなく子供から大人まで人気の高い作品である。その背景は、「ウメ星デンカ」という未来という非日常における日常生活を描いた作品であったがあまり人気が出ず、ドラえもんで未来からやってきたロボットが日常生活で未来の道具を持ち出して問題を解決するという設定に変えたところで大ブレークをすることになる。
更に1968年の前作「21エモン」も人気が今ひとつだったが、その作品に出てくる未来のアイデアは、ドラえもんの中でも四次元ポケットから出てくる秘密道具に生かされている。
「21エモン」「ウメ星デンカ」という当時評価が低かった作品のアイデアを活かしたことで生まれたのが「ドラえもん」であると考えると非常に面白いトライアルであったと感じる。
ちなみに宇宙パイロットに憧れる21エモンは江戸幕府成立当時に創業したホテル「つづれ屋」を父親である20エモンから後を継ぐようにとボーイで働かされるという設定である。
そう考えるとドラえもんは22世紀からやってきた22エモンということになる。
作品を越えて、アイデアを引き継がれた「ドラえもん」は作者である藤子・F・不二雄の集大成とも言えるだろう。
太平洋戦争末期に大日本帝国陸軍が起死回生の秘密兵器として開発していた鉄人28号が戦後、悪の組織により復活することになる。鉄人を自由に操れる小型操縦器(リモコン)により、悪の手先にもなるし正義の味方にもなるという設定が当時の子供達を熱狂させた。
その後の巨大ロボットものに多大な影響を与えた作品である。
この作品を生み出す背景として、以前産経新聞の記者であった横山光輝は、工業関係の取材の経験もあり、機械の開発は大きなものから小型化するという考え方から、鉄腕アトムを意識して作ったそうである。少年探偵ものであった作品の中で、読者アンケートで鉄人編が好評だったためロボットものに方針が変更された。連載と同じ昭和30年代の日本を舞台に犯罪組織やスパイなどと鉄人のリモコンの争奪戦を繰り広げ、主人公である少年探偵の金田正太郎も巻き込まれ、正義の味方になるストーリーが展開する。
元々鉄人28号はフランケンシュタインをヒントに作られたもので、のちの設定変更でその筐体は27号だったということになり、新たに28号が作り出された。
戦後間もなく漫画雑誌が復活し子供たちは冒険活劇や西部劇などの漫画に一喜一憂していた時代である。その時代は敗戦後アメリカの統治下に置かれ日本の伝統的な武道は再び戦争につながると禁止されていた。
1951年ワシントン講和条約が締結され、武道が解禁されたその翌年に福井英一は当時絶大な人気を誇っていた手塚治虫に対抗するためにストーリー漫画を研究し、編集者とともに企画を練り上げ秋田書店の冒険王で柔道マンガ「イガグリくん」を連載開始する。
主人公は当時の日本人らしいがっしり胴長の体型で、正義感が強い熱血漢であった。
戦後の子供達にとって柔道・剣道というのは未知のものであったが、爆発的な人気となって、翌53年には掲載誌である冒険王は50万部を発行して少年誌で一番の発行部数となった。
後にブームとなるスポ根マンガの先駆けとなった。主人公の伊賀谷栗助(通称イガグリくん)はドカベンの初期の頃、柔道大会の審判として登場している。