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WASHIYA Masasi

目白大学メディア学部准教授

早稲田大学大学院アジア太平洋研究科国際経営学専攻修了。早稲田大学大学院助手、東映アニメーション研究所所長代理などを経て、現在目白大学メディア学部メディア学科准教授。専門は、コンテンツ産業、エンターテインメントビジネス、コンテンツツーリズム。トキワ荘通り「夢の虹」イベントに立ち上げ時から学生と共に参画。

レビューの一覧

はいからさんが通る

「はいからさんが通る」は、時の移ろいを実感できるロマンチックコメディ大河マンガである。 「はいからさんが通る」は、大正7年(1918年)のモダン東京を舞台にした作品である。主人公である17歳の花村紅緒は、掃除も洗濯もまるでダメな一方、剣道をたしなみ自転車も乗り回す男勝りの「はいからさん」である。親の決めた縁組みに反発しつつも、許嫁の伊集院少尉に惹かれていく。自由で開明な時代から、ロシア革命、シベリア出兵、関東大震災と混迷を極めていく中でも気丈に愛を貫く姿を描く。 「はいからさんが通る」は、昭和50年(1975年)に、大和和紀が講談社の『少女フレンド』で発表した作品である。当時の子どもたちは、大正時代のことを、遠い過去のものとして受け止めていた。たとえばアメリカ南北戦争(1861年)頃の「風と共に去りぬ」や、フランス革命(1789年)の「ベルサイユのばら」のようにである。 しかし、1975年と1918年では57年しか離れていない。「はいからさん」と同時代を生き、当時を知る人も身近に大勢いた。紅緒と、同じ1901年生まれには、ウォルトディズニーや昭和天皇などがいる。2025年の今に置き換えるなら、和田アキ子や梅沢富美男ら74歳の人たちが17歳だった57年前、1968年の頃を舞台にした物語ということになる。1968年がどんな年だったか確認してみると、手塚治虫の「リボンの騎士」のテレビアニメが放送、藤子不二雄の「オバケのQ太郎」「パーマン」「ウメ星デンカ」が連載、石森章太郎の「サイボーグ009」のテレビアニメが放送、赤塚不二雄の「天才バカボン」が連載されていた年ということになる。当時を知る人ならば「実はそんな昔のことを描いていたわけではなかった」と認識を新たにして読み直すことができるだろう。 これから読む人には1970年代中盤の時代の空気、社会規範・価値観、作中の小ネタなどを、当時を知る人に尋ねてみることをお勧めする。読書体験が多層的に深くなるはずだ。

750ライダー

「750ライダー」は、オートバイが自由と解放の象徴だった時代の映し鏡である。 令和の今、オートバイに乗るのは、ヤンキーか、老人のいずれかで、一般の人には縁遠くなっている。排気量750ccのバイクがどんな存在だったのか、バイクに乗るという行為がどういう意味を持っていたのか知っておきたい。 戦後の日本経済の発展を支えたのは、人手よりも多くの重い荷物をスピーディに運ぶことが可能でありながら、自動車に比べて廉価で小回りが効き経済的なオートバイであった。このため、二輪免許は簡単に取ることができる時代、排気量無制限のオートバイに乗れるような時代が1960年代の半ばまで続いていたのである。 高度経済成長が軌道に乗り、また、交通事故防止の重要性が高まると、国産オートバイの排気量の上限を750ccにする自主規制が設けられ、また、排気量400ccまでのオートバイにしか乗れない中型限定自動二輪免許が設定された。排気量無制限のオートバイに乗るための「限定解除」をするのは、合格率1割に満たない厳しい試験を通過する必要があった。つまり、「750ライダー」の主人公・早川光は、高校2年生にして、限定解除試験に合格するほどの運転技術を持ち、最上級の存在である750ccのオートバイに乗っていることを意味しているのである。 「750ライダー」の連載が始まった1975年頃は、1学年160万人ほどで、高校への進学率が90%を超えて「普通」になった時代。前の世代からの管理教育・受験競争の厳しさは続いていた。その管理・競争への反発が、アメリカ映画「爆走!ヘルスエンジェルス」や「イージーライダー」にも見られるような、オートバイに乗るという行為であった。 「750ライダー」は、10年連載され、単行本は50巻に達した。主人公の見た目や性格、各話の基本的な流れは大きく変わったが、主人公早川光は高校2年生のままだった。着用義務化されていたヘルメットも最後まで着用していなかった。

はだしのゲン

『はだしのゲン』は、原爆投下前後の広島をたくましく生き抜いた中岡元ことゲン少年の物語である。作者の中沢啓治は1939年広島生まれ。女手ひとつで中沢ら3人の子どもたちを育てた母の死をきっかけに、中沢は原爆に題材を取った作品を書き始める。先行マンガ誌を抜き100万部を超した『少年ジャンプ』で、1973年から連載されたのが『はだしのゲン』である。 現在の日本では、往時を自身の体験としている人たちも少なくなり、また、ウクライナやパレスチナの情勢、中台や日朝の関係などから「戦争」の意義も相対化されている。「悪い戦争ばかりではない、良い戦争や必要な戦争もある」という主張は説得力を強めて広まっており、「原爆と戦争の恐ろしさを子どもたちに伝えて平和を希求する」という中沢が本作品に込めた想いも伝わりにくくなっている。さらには「エピソードが事実ではない」「思想が偏向している」「子ども向けとしては描写が残酷すぎる」という批判も年々強まっている。 本作品は、さまざまな言語に翻訳されて、諸外国でも出版されている。京都国際マンガミュージアムで見ることもできる。その多くは、原爆投下の日に、母が出産し、その子に「おまえが大きくなったら二度とこんな姿にするんじゃないよ」と語りかけるところで終わっている。放射線の人体への悪影響や、米軍占領下の不条理、被爆者差別などはカットされている。そのせいか「戦時中、日本は他国に対してひどいことをしたのだから、原爆投下は当然の報いである」という角度からの読解も外国人からはされてもいる。 しかしながら、中沢の被爆者としての当事者性はゆるがない、体験をマンガとして昇華する作家性も確かなものである。ゆえに、中沢の想いに対するスタンス、政治的なポジションの如何にかかわらず、ゲンの成長という物語の骨子に目を向け、『はだしのゲン』全体を読む人が、世界中に増えたなら、中沢と作品の評価は新たになるはずだ。

アシュラ

「アシュラ」を人に勧めることは難しい。「アシュラ」の内容は衝撃的である。その「衝撃」を中心に語りたくなるのだが、すると作品の本質から逸れてしまう。 「アシュラ」はジョージ秋山が1970年『少年マガジン』で発表した作品だ。主人公アシュラは、平安末期、飢餓や疫病の蔓延する中、最低限の人間性すら失ってしまった母から産み落とされる。辛うじて命を繋いだアシュラは「自分など生まれてこなければ良かった」と悩みつつも、生き延びるために殺戮と収奪を繰り返す。そんな中、アシュラは、憐みと愛情を注いでくれる若い女性や、人倫を説く法師などと出会い、自らの生きる意味や生き様を模索していく。 「アシュラ」の絵柄は、今日の観点からすれば、描かれる世界観にまったく見合っていない。「アシュラ」の物語の冒頭は、飢餓の果てに荒廃した村が描かれる。死体にはカラスが群がり、蛆が湧き、白骨化していくのである。凄惨な場面であるが、人の姿は古典漫画的なデフォルメがされて、どこか記号的である。美しく心地よい絵柄では決してない。しかし、それは、内容に対比すると「救い」であり、子どもの心にストレートに届く効果があるようにも思える。 「アシュラ」は、面白おかしい話でもなく、読んでスッキリと爽快な気分になるものでもない。万人に勧められる作品ではなく、実際、掲載された『少年マガジン』が有害図書に指定されたりもした。しかし、キレイな話ばかりを見ていても世の中がキレイになるわけでもない。苛酷な現実が存在しうる以上、人はその事実を咀嚼し乗り越えていかなければならない。それは多くの人が「アシュラ」を読み、そして語り継ぐことで初めて達成できるだろう。「アシュラ」のような作品が半世紀以上前に、広く公開されていたこの「表現の自由」から後退してほしくないなと願っている。

ワイルド7

『ワイルド7』は、設定だけで、既にもう面白いマンガである。バイクや銃のディテールが加わり、高い画力で描かれる。時代を超えて少年の心を揺さぶるものになるのも当然だ。 ワイルド7とは、将来を嘱望されていたエリート官僚・草波勝が、毒をもって毒を、悪をもって悪を制すべく犯罪者によって組織した秘密警察組織のことである。少年院に入っていた飛葉大陸など、さまざまな特技を持つメンバーは、警視長・警視正といった、警視総監・警視監に次ぐ高位の階級を持っている。その階級章を見せると一般の警官はたちまち顔色を失う。ワイルド7のメンバーは、政財界の黒幕と癒着し通常の警察捜査が及ばない犯罪者に対して実力行使に及ぶ。「逮捕」ではなく「退治」するのである。念頭に置かれていたのは、下山事件などの戦後未解決事件や、過激派学生による混乱などに対する警察機動隊の無力などに対する「なんとかならないのか」という当時の素朴な感情だっただろう。ワイルド7の無茶苦茶なやり方に溜飲を下げた人は多かったはずだ。 1960年代後半、戦後漫画で育った世代は劇画ブームを起こす。『ワイルド7』の設定はマンガ的でありながら、絵は劇画調である。ホンダ CB750FOURやハーレーダッドソンFLHなどのバイク、コルト・ウッズマンやレミントンM31などの銃が緻密に描かれる。バイクマニア、銃マニアの人が見れば、それとわかる。マンガに出てくる宇宙船や光線銃も確かに魅力的だ。しかし、実在するバイクや銃が作中に出てきて活躍すれば、作品への没入感や魅力はさらに高まる。 長期連載された人気作だけあって、テレビドラマ化、アニメ化、映画化もされている。世情の変化や実在の組織・事件などに配慮されて、改変を余儀なくされている部分も多い。それだけに原典にあたる意義の大きい作品と言えるだろう。