欧文作品名読み者原作備考年掲載誌:

Renato Rivera Rusca

立教大学、明治大学 兼任講師(「漫画文化論」、「アニメーション文化論」など担当)

ペルー生まれ、イギリス育ち。2003年にスコットランドのスターリング大学で日本研究専攻で卒業し、大阪大学と京都大学大学院で日本のサブカルチャーと社会に関する研究実践やドキュメンタリー制作を博士課程で行った。専修大学、早稲田大学、京都精華大学マンガ学部などで講師を務めるほか、京都国際マンガミュージアムの発足当初から数多くのポップカルチャー関連プロジェクトに参加。地域活性化事業の一環としてアニメーションの国際共同製作企画に携わった後、現在は明治大学、立教大学そして成城大学で大衆文化や社会におけるメディアの役割などについて複数の科目を担当している。近年の日本語執筆文献に『山根公利モノGRAPH サンライズ編』にて「日本の「メカアニメ」の位置づけ、海外の観点から」、そして『巨大ロボットの社会学:戦後日本が生んだ想像力のゆくえ』にて「海外におけるロボットアニメ事情:アメリカを中心に」が担当章。

レビューの一覧

あしたのジョー

本作は、主人公「矢吹ジョー」一人の物語のみならず、まさに戦後経済成長期を経験した若者世代全体の気持ちを反映する当時の格差社会の日本のリアリティへの注目の訴えといっても過言ではない。ちばてつや先生が見せる戦後に大いにかつ急速に発展してきた大都会としての東京のイメージを裏切る下町のスラム街の対象的表現は物語の背景だけではなく、作品のエッセンスそのものだ。アンダーグラウンド社会に暮らす貧困層はこの変わりつつある新時代では何を目指すべきか?そのようなテーマを取り上げる画期的な描写は団塊世代の心を刺さり、あまりにも印象深くゆえに未だに他のあらゆるメディアでも名場面のオマージュが現在見られるように一般社会に根付いている。 キャラクターの辛い生き様の部分も遠慮せずに描くちば先生は同時にシンプルでありながら表情をきわめて繊細で優しそうなニュアンスを保つからこそ、登場人物が社会の逸脱者であっても読者の共感を得られる絶妙な普遍性を持っている。 日本ではあまりにも社会現象を巻き起こした名タイトルになっており、さらに欧州などでテレビアニメ版も数十年前から放送されているにもかかわらず、半世紀以上英語圏においてはほとんど知名度が無く、2024年には57年もの時を経てようやく英語翻訳版が初めて登場した。今後もかつての日本の心を代表する名作はさらに世界的な認知度が上がることが期待できそう。

綿の国星

大島弓子先生の丁寧な線と白黒のコントラストが印象的なビジュアルスタイルで繰り広げられる捨てられた子猫から見た世界。縦長のコマが多く、読者は日常的に見慣れた町の風景を小さくて鈍い捨て猫の低い視点から見てこそ明らかになる猫同士の価値観や考え方の違いを実感できる。 「人間になれるルートは2つ:人間として生まれて成長して大人になるのと、猫として生まれてある時点で人間に変身する」というチビ猫の可愛らしく、うぶながら頑固な思い込みに読者が惹かれ、癒される。チビを拾う新しい飼い主の時夫という青年に伴う人間社会のあらゆる事情と同じように、野良猫社会にも複雑な事情もあることに少しずつ気づくチビ猫。 今も伝統を受け継いでいる日本のアニメやゲームのキャラクターデザインの象徴的なモチーフとなってきた「猫耳」をマンガで初めて取り入れたとされている作品だが、それよりもさらに革新的で賞賛すべき試みは、単純に猫は猫として描くのではなく、あえて「子猫を小さな女の子として描く」という本作のキーコンセプト。マンガという媒体の無限な想像力を活かしてこそ可能な表現であろう。このように読者には猫が発するセリフは言葉としてわかるが、物語の中の人間には猫の鳴き声としてしか聞こえないという、温もりも切なさも、心から感情移入できるこの作品の優れたポイントである。

銀河鉄道999

松本零士先生が描くスペースファンタジー大作と呼ばれがちだろうが、ファンタジーとはいえ、各話のテーマはいかにも人間らしさや生き方などといった概念を改めて違った観点から見直すためのメタファーとして、マンガならではの表現を最大限に応用されている傑作。 汽車が星空をかけるというイメージが沸く宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』からインスパイアされた松本先生は素晴らしいビジュアルに、重みのある青春物語を展開していく。 それは、青年星野鉄郎と謎の美女メーテルが二人で超特急列車999号に乗り、殺された鉄郎の母親の敵を討つという復讐のための単なるアクションアドベンチャー作ではなく、本作は各停車駅(惑星)に降りて、鉄郎が自ら現地の状況を見て、現地の人の話を聞いて、様々な体験をしてこそ、教訓を学び、また一つ成長していくという、読者を見下さない肌で感じる直球型の伝え方を起用している。 また、松本先生の宇宙ロマン溢れる世界観への入り口として、本作は最適であろう。

ハイティーン・ブギ

牧野先生の絵柄で繊細な強弱が物語の感動的な揺らぎのニュアンスをうまく誘導する、辛い現実を描く青春ドラマ。当時新鮮だった女性漫画雑誌『プチコミック』で連載開始したころ、1970年代後半ということで少女漫画読者は大人になりかけていた時期であり、よりリアルなストーリーを求めたユーザーのニーズに応えるべく、新領地を開拓した代表的な作品の一つ。複雑な人間関係やシリアスな事態の展開だけではなく、当時の若者文化を代表するロック、バイク、助番などを含めた反体制主義的な(また、それに影響を受けた)カウンターカルチャー全開の社会背景も見事に反映されている。この頃のマンガ界において豊富なジャンルはいかに急速に拡大していったか、今振り返ってこそ読み取れるであろう。 主人公の桃子は暴走族スケルトン団を脱退している富裕層出身の翔に憧れ、ある日突然誘拐され、性暴力を受ける。このようなシーンは当時でも今でもショッキングな内容で少女マンガからの「卒業」した「女性マンガ」というカテゴリーを見事に画しているのだが、その後の展開こそがストーリーの軸となり、キャラクター同士のお互いに言えること、言えないこと、ドラマチックに進む大人の物語。 実写映画とコラボソングも1980年代にリリースされており、なお『プチコミ』だけではなく、『プチセブン』というファッション誌でも掲載されているということは当時のマンガのマンガ界以外への浸透性の実態も物語っているであろう。

童夢

エスパーなど超能力者を含むオカルトブームの真っただ中で「大友ショック」と呼ばれた漫画界における話題の現象を巻き起こした大友克洋先生のサスペンスマンガ全一巻完結作品。 近代日本の暮らしの象徴の一つとなっていた戦後に普及した住宅団地は、少子高齢化社会の減少が可視化され始めた1980年代頃には徐々にゴーストタウン化していく現象を利用し、大友先生は見事に現代日本独特なホラーの舞台として設定することに見事に成功。 普段何気なく見かけている団地を非日常的かつ超自然的なSFホラー系の展開に活かすために完全にイメージを変える手法の一つとして、非常に細かいディテールに満ちた描写により「怖さ」を追求する表現に見えてくる衝撃的な効果は抜群。 マンガという媒体の特徴の一つは、ビジュアルなメディアでありながら映画や演劇と違い、「尺」は決まっていない。それは、つまり、読者が自分の読むペースで物語が進むと思いがちだが、実は均等ではない。アクションシーンと会話シーンでどうしても目を通すスピードの違いはともかく、コマ数やコマ同士の流れ、またコマの内容によっても異なるであろう。本来尺が決まっている実写映画のホラーシーンで感じる恐怖を観客に最大に上げるためには照明、音響だけではなく「ため」の長さもしっかりコントロールすることで、タイミングよく「カタルシス」をもたらし、ドキッと感が増す。大友先生は『童夢』で見事に証明したのは、このような映画的映像文法はマンガのページにも適用できるということ。そしてそうすることによって、ホラー映画のようなペーシングを再現できることになり、読者は話の進行をページめくりでコントロールしているのではなく、マンガ家がページ内のコマの構成で定まっている視線誘導で読者の読むペースをコントロールする結果になるのだ。このような恐ろしい錯覚そのものが、『童夢』の隠れた手品のような魅力であろう。